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結果編 振り返り編
今後について、まずは全道に向けて練習あるのみです。
とりあえず4継に主軸を置いて練習しようと思います。リレメンが3週間で0.2秒上げるつもりで練習するなら俺は0.3上げるつもりで練習します。それでもベストオーダーに入れるかどうか。
まずは記録会の100mで結果出さんとなぁ…直線だしブロックの要素も大きいしであんまフラット100mって好きじゃないんだけど。さすがにベスト12秒台はマズイもんなぁ。
マイルももちろん走れるように準備します。とにかくこの3週間は、走って走って走りまくろうと思います。
ところで400mH。走り方の意識をちょっと変えるだけでベストを1.5秒も更新しただけにまだ頑張ったら伸びそうではあります。しかしもう出場機会も無い、記録会で出ることも出来ましたがここは全道に繋がるものだけに絞ろうと思いやめておきました。
大学に入ってからかぁ…と思っていたところ、母から朗報が。
どうやら8月7日、帯広の森陸上競技場で十勝選手権があるとのこと。それまでやってみたら。と言われました。受験生になんてこと言うのこの親。
高校で札幌に来たので、俺は札幌陸協に登録されていることになっています。その身で十勝選手権に出れるのかは甚だ疑問なんですが、もし出れたら、これをトラック引退レースにしようかと思います。
みんなに見えないところで勝手に札南ユニフォーム着て引退レースってのもなんかハァ?って感じですけど、これは札南陸上部員としてじゃなくて、1人の陸上選手として、ワガママ言わせてくだせぃ。
しかし帯広の森でレースとはなぁ。この前ふと帯広の森のトラックが頭に思い浮かんで、あぁまたあそこで走りたいな。夏休みに用なくても走りに行っちゃおうかな。とか思ったことがあったのですが、まさかそこでレースが出来るかもしれないとは。不思議なこともあるものです。
それも終わったらようやく引退か。いやいや何をおっしゃいます。まだ10月に札幌マラソンがあります。
出ることは確定で、迷ってるのは5kmにするか10kmにするか。ちなみにこれ個人的に出たくて出るのでくれぐれも駅伝云々とかやめてくださいね!俺基本的に長距離は苦手な人なんだからね!
全道やらインターハイやらが全部終わって、自分で何してもOKって身になったら400mH練習とかねて少しずつ体力作りをはじめようと思います。
夏休み明けに非公式に「札マラ部」を名乗るかも知れません。練習日は月水金ぐらいかなぁ。土曜日もやるかなぁ。場所は主に河川敷で。部長の気分次第で色んなとこ走ったりとかね。有酸だけじゃなくてたまに300mインターバルも入れたりとかね。おぉ面白そうだ。妄想がひろがりんぐ。
札マラも終わったらさすがにもう大会もありませんし引退ですかねぇ…
まぁ受験勉強の合間に腹筋背筋ぐらいはしとこうかと思います。あわよくばjogとウェイトも…ってこれただ勉強から逃げたいだけですねもう。
勉強も頑張らないと…そういえば岩村先輩が筑波の大学院かもみたいな噂を聞いたので、受かったら会えるかもしれないと思うとちょっとモチベ上がりますね。なんせ俺が南高受けるきっかけですし。
こんな感じで、支部が終わった後も陸上漬けの生活になりそうです。
では改めて、支部4日間お疲れ様でした。全道行く人は頑張りましょう。
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結果編
支部4日間を振り返って。まず4継。
1日目、予選。4走で出場。
自分のしょーもない走りで台無しにした感じ。評価できる のは予選通過出来たところぐらい≒みんなのおかげ。
もう言葉に出来ない。
2日目、準決勝・決勝。
準決勝は3走にシフト。 ぶっちゃけこっちのほうが好きです。カーブ好きっていうよりは直線嫌いって感じ。
第3コーナーに移動する途中で女子4継が見えて、「あれ、なんで アンカー構えてないんだ?」って思ったら2-3でアクシデントだったらしい。それを見てちょっと燃えた、かも。とにかく全道決めようと再確認。
準 決勝は予選よりかマシな走りをしたと思います。無事に43秒台も出たし、全道も決まって一安心。
決勝はまさかのリレーで流し。終わった後で「速す ぎるだろ!」って怒られるって何事w
マイルは3日目の予選だけ走りました。
400mHのショック、疲れ、引きずっていたと思いま す。アップの時点でかなり暗かった。
ラップも1走で55秒0と振るわなかった。俺がしたことはとりあえずバトンを運んだことぐらい。
準決 勝はベストオーダーから外れ、決勝も結局後輩に任せてしまった。
マイルに関しては、最上級生として情けなかった。みんながつないでくれた全道、も し走ることがあれば、今度は勝てるレースをします。
最後に400mH。2日目4継準決勝のあとに予選。
400mHについては、 「4人ぐらいが抜け出して、あとは自分と同等かちょっと上ぐらいのやつらが5~6人。その辺での争いだろう。60を切るだけじゃ決勝は危ないかもしれな い。出来れば59"2ぐらいか・・・」というのが事前の予測。
予選前は「準決勝は2年前に初めて走った自分が63"97で行ったところなんだから ここは問題じゃない」とか言い聞かせてました。なにせ今シーズンまともなレース出来てないだけに怖い怖い。あとは10日前に教えてもらったことを忠実に守 ることだけ考えてました。
予選は思い通りのレースが出来ました。ストライド一辺倒でとにかく歩数を減らす、これのおかげで前半がんばる必要が無 く、後半も楽に走れて、今までで一番軽いレースが出来ました。にもかかわらず61"42、ベストを0"52更新。組2位で準決勝進出。
しかし終 わった後結果を見て焦りました。60~61秒台があまりにも多すぎる。5~6人なんてものじゃなかった。抜け出してるのは予想とぴったりの4人。その4人 からすれば楽勝だろうが、自分らにしてみれば誰が抜け出すかまったくわからない、ギリギリの勝負。
どのみち決勝ラインは59秒台前半で立ててた し、自分にはまだ上げられる余地があったのでそれは救いでしたね。それと抜け出してたのが4人で済んだのもよかった。恵南や情報に「走れば全道」のような 人材はいたので、その辺に出てこられたら決勝はもっと遠かった。
3日目、準決勝。3組目9レーン。
予選同様に走れば楽なんだか ら、どこかにキツいポイントを作ればいい。予選が終わった直後に立てた決勝進出のための戦略は「後半勝負」でした。前半上げても後半死ぬのが怖い、それよ りは周りがキツくなる頃合を見計らって抜くのがいいだろう、というもの。こんな走り方をすることは今まで経験がなかったのですが、自分の体なら出来る、っ てかやらないと勝てない。そう思って、ただその戦略に懸けました。勝負は8台目を越えたあと、ラスト110m。
天王山、今大会で唯一ハチマキを巻 いて臨みました。スタート前にみんなの応援が聞こえました。「ありがとう」と思いながら、セットして、そしてスタート。
9レーンだから誰も見えな い。だからこそ迷い無く走れました。5台目まで予選のように入れて、6~8台目の中だるみも今の自分じゃ仕方が無い。そして8台目を越えた瞬間、2日目が 終わった後に母に言われたことを思い出しました。「腕を強く振れ!」
すでに前に2人いる。3位で抜けなきゃ未来は無い。ただがむしゃらに走りまし た。10台目を越えて、ゴールを目指す。限界の体でトルソー。しかしその瞬間、左に何か見えた気がしました。
ゴール後、倒れこんでしまった。ス タート前に初めて喋った北高の2年生の人と「お疲れ様です」と互いにねぎらいあった。レースはどうなったのか、何位なのか、何秒なのか、まったくわからな い。とにかく結果を待つしかない。
スタンドに座って、アナウンスを聞きました。1組目の3位が59秒台。かなり厳しくなった。2組目は 60"49。そして3組目、3位で呼ばれたのは、北高の人。
記録を見に行って、0"23差であることを知りました。そのとき北高の人に会って、 「大槻君がいなかったら僕ラスト死んでました」と言われました。俺は戦略通りに走って、その戦略ゆえに敵に塩を送った。皮肉なものです。
俺も、彼 も、ベストの走りをしました。互いの最高どうしをぶつけ合って、それで負けたのなら悔いはありません。そして最後の最後で、敵と互いを讃えあうようなレー スが出来たことは、素晴らしいことだと思います。
「1年のとき怪我を早く治していれば」「もっと徹底的に走りこんでいれば」「十勝支部なら勝って るだろう」…確かに色んな思いはよぎりますが、しかし60"42で9位という結果は、札幌に来て、南高に入って、ここで練習して、怪我して、無茶して、後 悔して、学んで、考えて、走ってきた、今ここにいる自分にしか出せない記録だから、それは誇りに思います。
それでも、記録を見た直後と、表彰台を 見ているとき、ちょっと泣きそうだったかな。これを書いている今も、ちょっと。
最後の支部、みんなの戦う姿がものすごく印象的に映りまし た。
応援してる間とかも実はちょっとヤバかった。とにかくみんな、格好良かった。
3年間で、いや、12年陸上やってきて、最高の大会だっ たと思います。
最後に、今後について。