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教育

2009.12.14 - 日記
国語選科教室なるものがあるらしいですね。読んで字のごとく。
自分の国の言葉なのにわざわざ塾に行って学びなおさなきゃならないあたり教育のレベルの低下が見受けられるのではないでしょうか。
国語と言えばうちの学校は極端です。第一現代文の先生が「まぁ受験のためには数学や英語優先した方がいいわな」とか言い出すし。進学校様は受験第一で学ぶことの本質が見失われがちになるのが弊害ですね。
数学は6単位(週6時間授業)、英語はリーディング、ライティング合わせて6単位、国語は古文3単位と現代文2単位。授業時数からして国語の立場は低いのです。また現代文の時間は内職も多々見受けられます。
確かに現代文は対勉強効果というか、やってもイマイチ成果がわからない教科ではあるんですが、だからと言って軽視していいものではないと思うんです。なぜなら今自分達が読み・書き・話す言葉は全て現代文な訳ですから、その使い方を知らなければ読み・書き・話すことは成り立ちません。またこの3要素は往々にしてその人のレベルを示す秤にもなるものです。

教育全体ということについて考えてみると、現代の子供は「ゆとり」と表され、以前に比べて勉強が出来なくなったとよく言われますが、これは何故でしょうか?こうなるにはどういった要因があったのでしょうか?
以前に比べて勉強が出来なくなったとはいえ、新生児の段階での知能レベルにまで差があるとは思えません。むしろ以前と比べたら大脳新皮質とか進化してるんじゃないかと思うんですけど、まぁ知らないことまで口出さないほうがいいですかね。
生まれたばかりの差がない状態から成長していくにつれてだんだんと差が顕著になっていくのでしょうが、そこにある要因とはやはり環境─とりわけ教育環境でしょうか。
親のモラルの低下、教師のモラルの低下、手軽に膨大な情報を得られるインターネットの存在、それによる思考能力や調査能力の低下・・・このあたりがゆとり世代がゆとり世代である所以かと考えられます。
特にパソコンやネットの存在は大きいでしょうね。覚えたり考えたりといった煩わしい工程を機械1台で担ってくれるのですから。こうして人間自らが持つ機能をモノにどんどん受け渡していくようになれば、人間の脳も「考える必要がないのならばそもそもある必要がない」ことになり、負の進化を遂げるのかもしれません。

それにしても教育レベルの低下を強烈に表しているのが所謂「おバカタレント」ですよね。
無知であることを商売道具にしていますが、彼らがとる笑いは芸人が苦心してネタを作り出した末にとる笑いとは全く異質なものです。安易な笑い、嘲笑です。
彼らが人気になる理由は無知であるがゆえに視聴者の格下になるからです。視聴者はおバカタレントに対して下方比較が出来ます。自分より格下の人間がいることは安心感を生みます。イジメが起こる要因も大体同じかなと思います。
下方比較はうつ病の改善には効果があるそうですが、一般人が下方比較を行うことは自分の今の地位に甘んじること、すなわち思考停止であると思います。まして比較対象はバカなのにタレントという夢のような職業に就き、あまつさえ大金を稼ぐわけですから、普通の人なら「バカでもいいんだ」って思わないはずがないんです。人間の本能は制約がない限り悪の方向へ向かうそうですしね。
たとえタレント本人達が実はバカじゃないにしろ、バカとしてアナウンスメントしてる時点でなんの意味もない。現代人は考える力をモノに明け渡し、メディアリテラシーの欠如を招き、メディアのプロパガンダに踊らされ、衆議院総選挙でマニフェストの中身もたいして見ずに看板につられて大博打を打つような真似も平気で出来るわけです。

今日中公文庫の「シュレディンガーの哲学する猫」という本を買いまして。サルトルの実存主義について少しかじったんですが、そこにはこう記されています。
・人間は生まれることを選ぶことは出来ない。突然世間に放り出され、そして死んでいく。
・人間は生まれたばかりでは「まだ人間ではない」、成長していく過程で徐々に人間として形成されていく。
・人間は自らを未来に向かって投企(プロジェ:自らの存在を未来に投げかける)ものである。
・人間はプロジェによって何かに積極的に関わる(アンガジュマン)、それによって人類全体を一定の方向に関連付ける(アンガジェ)
下2つのあたりを今までの話と関連付けると、現代人は今「バカでいいんだ」という方向にアンガジェされているのだと思います。それによって努力する必要性も薄れ、より高い目標へのプロジェが行われず、低いレベルでのみプロジェが行われることによって低い教育レベルにアンガジェされる・・・という悪循環ですね。先に挙げた国語の話だと、生徒全体が数・英>国語という方向にアンガジェされているので、英数を努力するようにプロジェされ・・・という感じでしょうか。
アンガジュマンの概念知ると、個人がある行動をとることは、その行動を理想的なものだと宣言することになり、人類全体に対してそのように働きかけることになります。その積み重ねにより、人類全体が一定方向にシフトすることになります。
高いレベルの教育を理想として宣言し、人類全体をアンガジェすることが今のゆとり世代の使命なのでしょうか?その目標がなされるまでに、一体どれだけの年月をかけることになるでしょうか。

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KANI at 00:40
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 プロフィール 
HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上、ゲーム
自己紹介:
帯広生まれ帯広育ち札幌在住。
春から筑波大学国際総合学類。

陸上歴12年目。
尊敬する人は為末大。
考えて、実践し、結果を出す陸上が信条です。
人に夢を与える走りをするのが目標です。

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