「人生あまり深く考えないほうがいい」と励まされたことがあります。
ほっとくとなにか考え事をするタチなので響く言葉ではあったのですが、やはり考えることが好きでどうしてもそれに価値を置いてしまいます。
結局励ましの言葉を自分の中で上手く昇華出来ていないということになるのでしょうか。
あれこれ考えずにとりあえず行動することが良い状況を生み出すことはあると思います。
考えてるうちに日が暮れて、立ち止まったままなにもしないことが悪ということも。
しかし浅はかな思慮で無策のままに突き進んで、それで出した結果はどうしても結果しか残りづらくなってしまうと思うのです。要因が見いだせず、フィードバックが難しい。
それよりもあらゆる手段を考慮し、実践し、その上に出した結果の方が自分としては価値のあるものに思えます。朝原も自身の著書の中で「若い頃に出した10秒0台は勢いで出せてしまったという感じ。それよりも自分で色々考えて練習して、30代になってから出した10秒1台の方が価値がある」という旨の話をしています。
以前「信じることと疑うこと」について考えました。
人生一寸先は闇。真っ暗でなにも見えないところにいるのが人生だとすると、
信じることは前に進むこと。行動を起こすがその先の道がどうなっているかは分からない。
疑うことは道をライトで照らすこと。道の様子や新たな道が開けることもあるが、それだけでは前に進めない。
このような考えに至りました。
結局はどちらもバランスよく兼ね備えているべきなのだろうというところで落ち着きました。
自分にはまだ信じる気持ちが足りないように思います。ただひたすらに突き進むことはなく、一歩一歩石橋を叩いて渡るかのように疑っている。高みにたどり着くには相当な時間を要しそうです。
信じることと疑うこと。同じように、突き進むことと考えること。
2つは呼吸のように互いに作用しているものだと思います。
バランスが乱れたときに物事にも乱れが生じるのでしょう。
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