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2025.09.15 - 
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at 04:15
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Bang!

2010.07.13 - ケータイ
お財布見つかったそーです。
とりあえず明後日学校行ってから確認します。これで違う財布とかだったら泣けるんですが中に学生証入ってるはずなんで大丈夫でしょう。
中身どんぐらい無事かな~…現金は諦めてるけど。あったらラッキー。
中身も色々大事なものあるんですが、財布そのものにも愛着があったので返ってきてホントよかった。



昨日の打ち上げの話。
なんかもうテンションガタ落ちで「金ないやつは身の丈に合った生活するべきだろ…」とかいって打ち上げ行かない選択肢もちらついてたんですが、友達の好意で行かさせてもらえました。ありがたや~。
5時からラフィラで串揚げの食べ放題。こんな店あったのね。美味しかったし、串揚げをセルフで作って食べるってのが新鮮で面白かったです。

そのあとはカラオケ…いや流れとしては鉄板だけどこういう場で歌える曲持ち合わせてないよおおおおお…
なんとか避けに避けて、最後FLOWのGO!をちょっとだけ歌って終了。
てかクラスの人みんな歌上手かったなぁ~。純粋に上手い人もいれば特殊な技を持ってる人もいたりで楽しかったです。
行かない選択肢とらないでよかった…

今日と明日は振替休日。
1週間ぶりぐらいに机に向かいました。が、机に向かった時間の3倍ぐらいDSを握ったかもしれません。
生活戻さないとなぁ…あと身体も走れるようにもってかないと。
なんか物事が後ろから追っかけてくるような生活はやだなぁ~…
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KANI at 22:18
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学祭

2010.07.12 - ケータイ
いやぁ終わっちまいましたね。
いつの間にか終わってました。

今年の学祭は一言で表すと「空虚」でした割とマジで。
準備と前日祭で燃え尽きてた感はある。本祭中のアドレナリンの出なさ。なんせ3階より上に足を運んでいないというクソニートぶり。
後夜祭はなんか後ろの方でぼんやり見てましたが楽しかったです。陸上部の人々が出てるバンド見逃しててうわあぁってなってたけどどっちも後夜祭まで来ててよかったよかった。にしてもジョーのバンドにも出て欲しかったなぁ。

で、体育館の片付けして、「運営で打ち上げやろーぜ!」ってなったとき

財 布 が な い

最後の最後に鬱ゲーktkr\(^o^)/
現金5000円程+銀行のカード+学生証消えましたー割とギャグになってねー。
落としたか盗られたか不明です。実際盗ろうと思えば不可能じゃなかったとは思う。
もはや札抜かれててもいいから他のもんは無事に返ってきてくれないかな~。

あ、ちなみに明日はクラスの打ち上げです☆ミ
「財布無くしたんで行けません」って言ったけど友達が貸してくれるみたいだよ!生きててよかった!
    
KANI at 00:16
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(no subject)

2010.07.09 - ケータイ
高校生活最後の学祭というやつが来ているそうです。
というか今日が前夜祭でした。

今年もなんか運営らしきことをしています。
今年はいつになくニート感が強いです。なんかもうホント遊んでる。なのにいたずらに睡眠時間削って無駄に疲れてもう…

もう寝ます。
2年連続の「学祭遅刻」もなきにしもあらず…
    
KANI at 22:35
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学歴とレッテルと自己認識

2010.07.08 - 日記
コメントレスをします。時間も時間ですけど。
直接答えるというより、書かれていたことについて改めて考え直して作った文章を上げる感じになると思います。これでなんとか受け止めていただければなぁ…と。 



まず「勉強しないと大学に落ちる!」ということについて。
確かに文面を見れば客観的事実かもしれません。まぁ特異なケースもあると思うので、「かもしれない」にとどめておこうと思います。
しかし注目したいのは文面の裏に働く大きな意志、「大学に落ちることは忌避すべき事態である」という常識、ぶっちゃけて言うところの「学歴社会」というやつです。ここが説明不足でした。
今や社会人になるには大学の1つぐらい出ていないと話にならない、というような風潮が見受けられます。しかしその風潮ばかりが先行し、「特に理由はないけど(世間がそうなってるから)大学には行かなきゃなぁ」ぐらいのスタンスで大学受験に臨む人も出てくる。学歴至上主義による価値観の一元化。これによって自分の意志が入り込む余地がなくなってくる、そこから思考停止に陥る。

僕は学歴というのは結局のところ人を測るためのものさしの1つ でしかないと思っています。ものさしが変われば序列も変わる、学歴社会で上位にいる人も、じゃあ人を率いる能力は?芸術のセンスは?などなど、比べる基準が変われば位なんて簡単に揺らぐものです。
そこで大切になってくるのが、コメン トでも触れられていた「自分が納得出来るかどうか」という所なんですかね。



そこで、今一度「自分」というものを見つめなおしてみようと思います。
生きるという言葉に自分という言葉が伴うとマイナスイメージになるのはなぜでしょうね。これも変な常識だと思います。人生で一番長く付き合う人間って自分自身じゃないですか。長く付き合わなきゃならない人を好きでいられないのはなかなか息苦しい生き方になりそうだなぁと思います。

そんなことはいいとして、自分自身を見つめなおすとき、出てくる言葉といえばやはり「アイデンティティ」ですね。 これを正しく定義しなければならないと思います。
アイデンティティとは広辞苑によれば 「ある人が1個の人格として時間的・空間的に一貫して存在している認識を持ち、それが他者からも認められていること」とあります。要するに「俺はここにいるぞー!」「うんうんそうだねここにいるねー」ってことですね。
ここで重要なのは「自分」という存在について考えるときにも「他者」の存在が必要であるということです。2年前にアイデンティティについて考察した時はここで行き詰まった。それでアイデンティティの可変性とか言い出した訳で、いやはや甘かったなぁ…まぁあれはあれで面白いところもちょっとぐらいあるかなと擁護しておきたいんですけど。

ここでちょっと参考になる読み物を2つ紹介しようと思います。
1つは為末のブログ「侍ハードラー」の、1年ほど前に書かれた「勝負強さの根源」という記事。2つ目は「堀さんと宮村君」というweb漫画で有名な 「読解アヘン」の「レッテルのある教室」という漫画。どちらもただ読んでるだけでも面白いんですが、興味深いのはまったく別のテーマで書かれてるのにアイ デンティティについて共通した認識があることです。それがレッテルという概念です。
世間にはなんとなく「他人からの評価は”客観的事実”であり、受け止めなければならない」というような常識があります。しかし先に挙げた2つはそれを否定し、「他人からの評価は”レッテル”に過ぎず、確固たる自分の存在は変わらない」というのです。

2年前の自分ならアイデンティティの定義との整合性がつけれずにもがいてたはず…でも今ならちゃんと区別出来る気がします。
アイデンティティの定義にある「他者からの認識」とは、「存在そのもの」に対する認識です。
対してレッテルの概念における「他者からの評価」とは、「存在の周りにまとわりつく性質」に対する認識です
木を思い浮かべれば簡単かもしれません。大きな幹が「存在」、枝葉が「性質」と言い換えて良いでしょう。
他者からの評価がどうなっても─レッテルが張り替わっても─枝葉が生え換わっても─幹は変わらずそこにある、存在は変わらずそこにある。自分が存在するとはこういうことではないでしょうか。
例えば自分が周りから「邪魔な存在」だと疎まれたとしても、自分は存在している。ただ「邪魔」と書かれた薄っぺらいレッテルが1枚張られているだけ。そんなものは確固たる自分が存在するということになんの影響も及ぼさない。「自分は自分である。」それでいい…



常識からの脱却の第一歩は自己の正しい認識です。他人の評価、世間の風潮に流されない確固たる自分の存在を確信すること。そこから始まります。
そして自分の生き方に対して、自分の意志で、自分で責任を持ち、自分で決定していく。 そういった積極的な姿勢を「強さ」と呼ぶのだろうと思います。
    
KANI at 02:29
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非常識

2010.07.05 - ケータイ
「○○しないと××だよ!」みたいな常識(笑)を持ち出されて行動を制限されると嫌になる。

自分の天邪鬼というのは、つまりこういうことなのかもしれない。

「勉強しなきゃ大学落ちるよ!」という常識(笑)を持ち出されて、勉強することを強いられる。放課後の図書室とかまさに「勉強しなきゃオーラ」に満ちあふれてて、自分にはもう滑稽としか映らない。自分が予備校を毛嫌いするのも、そんなオーラが苦手だからかもしれない。
あるいは「学祭はクラスで仕事しないと後悔するって!」とか、「お前が思うならそうなんだろ…お前の中ではな」ってリアルに言いそうになる(クラスに馴染めない言い訳終了)

結局この常識(笑)ってのがなんなのか。
なにか物事を成すに際して現れる「上の世代がそうなってる」と「周りがそうなってる」という上下左右の組み合わせ、要するに「世間がそうなってる」という空間的な取り巻き。それが常識(笑)とでもいいましょうか。

行動原理を「自分の意志」ではなく「他者」に委ねているという点において思考停止していると感じる。そこから嫌悪感も生まれるのかもしれない。
そんなことを考えながらも、気付かないうちにその取り巻きに吸収されている自分の姿を思うと吐き気がする。
    
KANI at 22:58
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 プロフィール 
HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上、ゲーム
自己紹介:
帯広生まれ帯広育ち札幌在住。
春から筑波大学国際総合学類。

陸上歴12年目。
尊敬する人は為末大。
考えて、実践し、結果を出す陸上が信条です。
人に夢を与える走りをするのが目標です。

良ければ一言どうぞ↓


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