2日完全休養とって遊びほうけました。明日と明後日走ってまた休み。来週月曜日からは朝練や放課後練の内容をしっかり考えてまたやろうと思います。
しっかり考えてやる。やっぱり自分にはこういうスタイルの方が合ってるような気がします。何も知らないように振る舞ってがむしゃらに取り組むよりも、やっぱり今まで蓄えてきた知識や経験を活用して動機付けていく方がうまくいくんじゃないかなと。
練習の300mで負けを意識したのって先日記事にしたときだけじゃなくて、前から何回もあったんです。そのときまず「取り柄のない走りをしてる」と思いました。今もまだその取り柄とやらをつかめずにいます。自信と言い換えても構いません。
トップスピードにはもともとあんまり自信がなくて、強いて言えばスピード持久が取り柄だったんですが、負けが積み重なってきてるのでちょっとげんなりしてるのです。冬の練習量の違いさと言われればそれまでなんですが、やっぱり悔しいのです。
今月の陸マガで高平選手が「人と比べるのがよくない」とかなんとか仰っていたのですが、人と比べずして何が勝負かというちょっとした反論もあります。
取り柄って人と比べる中で見つけていくものじゃないかと思うんです。「これなら誰にも負けないぞ」という何かが1つあることは孤独なレース中の唯一の救いです。神と言ってもいい。信じれるものがあれば辛くても頑張れます。それでも負けてしまったら、相手の強さを素直に褒め称えるしかありませんね。
理論をたくさん知ってるのは取り柄であって信じれるものではないのかって?
少し違いますね。なぜなら理論を勉強していく中で、「最後に勝負を決めるのは理論じゃない」という限界を知ったからです。
レース中に動きについてあれこれ意識して走っている時点ですでに負けなんです。レースは本能でするものなんです。レース中は無意識で走らなければならない。だから理論というのは本番ではたいして役に立たないんです。
だからって「やっぱり理論なんてめんどくさいし本番使えないなら学ぶ必要ないじゃん」という話ではありません。理論を無意識レベルに浸透させることで飛躍するということです。
ただまぁ…最近取り組んでる「自分の持てる陸上理論・哲学・経験の集大成」とも言える走法が、もう少し形になってきたら、それは取り柄と言えるかもしれません。支部に間に合うのかな。もし間に合わなかったとして、捨てるのがもったいないから大学でも陸上続けたいんですよね。実はこういう理由も。
最後に取り柄となりうるかもしれない走法のコンセプトとなる問いを。一緒に考えてみてください。
「人類の祖先は陸上移動に適した四足歩行を捨てて二足歩行に進化し、手の機能を発達させ、それが理性や科学の発達に繋がってきた。そういった経緯があるにも関わらず、二足歩行である人間が以前もっていた利点を捨てておきながら『速く走る』ことを追求するのは矛盾しているのではないか?」
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