息切れがひどい。
走り終わった後、体がいうことをきかない。
もっとやらなきゃいけないのに…
息切れがひどい。
ターニングポイントは今日の300m。
42秒台でゴール。俺の前には3年1人、2年3人、1年1人。今日は走ってないが恐らく俺より速い3年が1人。俺の前には6人いる。リレーは補欠含め6人まで登録する種目だ。400mだが、順位が変わるような差とは思えない。
特筆すべきは内容である。100mですでに勝負が決まっていた。前に出られた集団に「もう追いつけないと思った」。事実俺のペースは落ちる一方で、ラスト100mで1人に抜かれた。
カードが足りないと思った。しかし認識が存在を決定するのであれば、「カードが足りない」と思った俺の弱気が「1枚欠けた手札」を作り上げ、こんな結果を招いたのかもしれない。最初から満ち足りた手札など存在しえなかった。
ともあれ、前を行く集団にはあって、俺には決定的に足りない何かがあるはず。しかしそれは一朝一夕で取り返しうるものか。いや、違う…
だんだんと、自分のやり方が間違っているような気がしてきた。「練習をやめる勇気」といって結局は刻苦を厭う怠惰しかそこにはなかったのではないか?
…いや、怪我が治ったせいで痛みを知らない横暴な論理を振りかざしているだけかもしれない。そもそも自分は人一倍「走れない苦しみ」を知っているわけで、それなのに走ることの辛さや苦しさを語るのは贅沢な悩みだ。今の自分は焦りから客観性を失ってはいないか…
だが俺は走ることでわかる辛さや苦しさを解しているようで解していなかった。自分の意見が正しいという思い込みが強かった。いや、過去形ではないな。今も、だろうな。
出来ないのはわかってるんだが、逃げ出したいと、ちょっとだけ思った。
出来ないんだ。逃げたところで結局いつかまたフラフラと戻ってきてしまうのが容易に想像できる。
取り憑かれてるといってもいい。でも今日思った。俺はもう陸上と結婚してるんじゃないかと。
どうでもいいんだけど、最近思った。人の恋愛感情って年を経るにつれてだんだん変化から安心を求めるようになるんじゃないかなぁと。
最初はドキドキしたいとかなんとかその辺からスタートするけど、だんだんと感情も落ち着いてきて、変化が少なくなってくる。そのあたりから徐々に不満が出始めて、変化を求める人は耐えきれなくて別離する。安定を求める人は「不満はあるけど、でも好き」っつって継続してく。そんなもんなんじゃねーかなーみたいな。
そう考えたら俺から見た陸上ってのは「やってたら辛いこともあるけど、でも好き」なんだよなぁ。
不満はあるけど好き、好きだけど不満がある。必要十分なのか。
事態を右往左往させて本筋を見失ってはいけない、今指摘すべきなのは、戦う準備が圧倒的に足りないこと。特に勝負を前にして練習レベルで負けを悟ったこと。
今のままじゃ勝てない。時間がさらに焦りをかきたてる。しかし無理をすればまた逆戻りだと過去の自分が警鐘を鳴らす。これは経験か、それとも固執か?
今日の結果はたまたまだとか、疲れのせいだとか、そんな逃げ道は求めてない。そもそも疲れが抜けきってたところで、今の俺にはあの集団をブチ抜く自分の姿が想像出来ない。そのぐらい今日感じた「勝てない」という思いは強烈だった。
しかしなんだかんだ言ったところで、結局走ることで生まれる問題は走ることで解決するしかないのだ。だから明日も朝練には行くし部活もやる。
無理をすれば壊れるかもしれない、事実今の脚へのダメージは無視出来ないものだが、だがそう言われても無理をしなきゃならない、あがきを見せなきゃならないときもあるのだ。自分の全力、ここで出さなきゃいつ出すんだ。「無理をしないこと」の素晴らしさばかり語って妥協をも正当化するやり方にはピリオドを打とうじゃないか。
正直今のメンタルは最悪だ。走力的に見ても7番手、挙げ句前に人がいて「勝てない」と思ってしまうようでは、今の俺にマイルのバトンをつなぐ資格はない。
自信がないなりに、目の前の出来事に対処せざるをえない。
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