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ミーティングのときに、活発になった議論の中に埋もれてしまった俺への質問に、意味はなくともここで答えてみようと思う。
「お前の目標はなんなんだ?」
あの時は答えることすら出来なかったと思う。
今もきっとその人が望む答え方は出来ない。
結局とんちまがいのひねくれた逃げ道しか作れない。
「目標がなきゃ走れないか?」
ここで最近読んだ本で知った「エポケー(思考停止)」という概念を持ち出したい。
本来の意味とは変わってしまうかもしれないのですが、自分なりの解説をするとこういう事です。
例えば1冊の本があったとして、ある人は「価値のある本だ」と思い、違う人は「価値のない本だ」というように人によって同じものを指しているはずでも違う認識を持つことがあります。これは理性という色眼鏡を通して物を見るから、ただの本でも「〇〇で××な本」というように様々な付加要素がついてしまうということなのです。
エポケーとはこの理性の色眼鏡を脱ぎ捨て、本を本という風にありのままに捉えることを指します。理性というフィルターを通すことなく本能で感じるということです。
陸上もエポケーで感じたいのです。
走ることから長く離れすぎました。今は怪我も快方に向かい、徐々に走るということを思い出しているところです。しかしこれは、なんと心踊ることでしょうか。
右足で踏んで、左足で踏んで、足跡になる、道になる。
風を切る、体が進む、世界が動く、世界が見える。
それでいい。それだけでいい。そう思うんです。「走るのに理由はいらない」とか「走れさえ、すればいい」とか、上手く言えないけどそんな感じ。
なにかのために走るなんて、ましてそのためにあーしなさいとかこーしなさいとか、そんなのはウンザリです。身軽な方が速く走れそうじゃないですか?
目標という言葉すら、理性が体に押し付けているゴールのように感じます。自分の深いところにある、本能からの欲求に従うことが、一番楽しく走れそうな気がするのです。いちいち上から目線で言われなくても、強くなりたいという欲求はあるはず。そしてそれは走ってるうちに湧き上がるはず。
走るときにここまで語る思考はいらない。これも重荷、これも捨ててさらに身軽に。
思考停止して、脳の全機能を体を動かすことにだけ集中させる。
そんな風に走ることが、強いて言えば目標ということでしょうか。
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賛成。