真面目な人は偉い
不真面目な人はダメ人間
なんか「人を殺してはいけません」並に不変の真理みたいに思えるんですが、単なる先入観なんじゃないかと思えてきました。
てかなんで真面目な人は偉いってことになるんでしょう?
リーダー会の仕事で小学生に指導する機会があって、消灯時間になってからの見回りとかも仕事に含まれるのですが、裏話をすると昔と今でものすごく変わったところがあるんですよ。
俺がスクールの参加者だった頃は消灯過ぎたらリーダーは「早く寝ろよー」って言ってました。というか泊まり行事なんて普通はこう言いますよね。修学旅行もそうだった気が。
今のスクールこう言わないんですよ。「寝れないやつは起きててもいいけど、寝てる人に迷惑かけんなよ」なんて言うんです。昔と比べると甘々ですね。でもいいことです。色んな価値観を認められてるわけです。不真面目なやつが不真面目なままでいられる。
真面目な人が真面目に頑張ってたら、それは「頑張ってるなぁ~」って思います。
でも「真面目にやってる人もいるんだぞ」とか「頑張ってる人もいるんだぞ」とかってセリフがよくわからないなぁって今日唐突に思いました。「真面目にやってる人もいるんだぞ」って、「不真面目にやってる人もいるんですよ」って言いたいし。
真面目=偉い 不真面目=ダメって先入観があるから、不真面目な人を真面目に改心させたいんでしょうか。でもそれって価値観の押しつけじゃないですか?
頑張ってる人を見て自発的に自分も頑張れる、なんてのはいいお話ですけど、頑張ってる人を見たら自分も頑張るようにするべき、なんて教えはうっとおしくて仕方ない。頑張るかどうかなんて自分に決めさせろって思います。
というかそもそも不真面目なままじゃダメなんでしょうか?不真面目な取り組み方をしててもそれで本人が楽しいとか、あるいは結果を出せてるなら問題ないんじゃ?
真面目な人を冒涜することになるから不真面目は悪なんでしょうか。それは真面目な人がよそ見しすぎじゃないですかね。違うものは違うんだってそこで止めといて自分のこと考えてればいいのに。
まぁ自分に合わないものは認めたくないんでしょうね。俺も割とそうです。
認めたくないから自分に合うように変えたいと思って対立するんですね。
しかしまぁ、「他人と過去は変えられない」とは父の言葉(誰かの受け売りだったかな)
ついでに「自分と未来は変えられる」とな。
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