函館から帰ってきました。
出番無し。まぁ思いっきり練習してやりました。
補欠という立場忘れて、サポートもそっちのけで半ばキレ気味に走ってたようにすら思います。
函館に着いて公開練習。かなり調子は良かった。
新人戦の2日後から10日以上動きっぱなしだったのが追い込みとして機能し、そこから全道前2日をほぼオフにしたことが結果的に調整としてうまくいったように思いました。
加速の乗りが今までで一番良かったようにすら思いました。
しかし練習後のミーティングで、男子4継は俺以外の4人で予選~決勝まで走ると先生が断言。ケガ人が出ない限り、俺の今年一番の加速は世に表れないと言うことに。
全面的に受け入れることは出来なかった。
確かに俺と代わって入った1年生は中学時代の実績もあるし、フラットの100mもきっと俺より速いんだろうけど、そいつはインフルでの学級閉鎖明けで練習もままならないまま全道に来ていた。
それに新チームになってからの4継のベストタイムは新人支部予選の俺が入ったときのタイムだった。しかもバトンパスが上手くいっていなかったにも関わらず、だ。
それだけに、「俺が入ったほうが速い」という考えが捨てきれなかった。傲慢か?自分でも思う。
そして始まった全道の4継、予選で出したタイムは44"38、ベストタイ。バトンは綺麗に決まっていた。俺のイライラもさらに高まる。「支部の面子でバトンを決めていたら?」そんな妄想で支配される。だが所詮妄想、準決勝で支部の面子がそろうことはなく、そのままのメンバーで継続。
準決勝、44"48で敗退。0.04秒差だった。
その後の俺は目に見えてイライラしてただろう。バスの中もメシの間も明らかに反応が鈍かったから。
今でも思ってる。「俺が走れば43"9で決勝決めてた」と。随分とエラそうな態度だこと。
断っておくがその1年生のせいだということは考えていないし、含みとか恨みだとかは一切ない。その1年生はいきなり任されたアンカーという大役をよく頑張った。俺が不満なのは負けたという事実と、帰りのバスでチームメイトがしていた4継決勝へのたられば話が「怪我で出れなかったエースが復帰してれば」程度で俺の名前が一切挙がらなかったことぐらいか。
周りの意識の中で、俺は遅いのだろうか?
あるいは400m以上専門で、100mは走るべきじゃないようなイメージなのか?
なぁ、黙ってられるわけ無いだろ。
今まで4継にはそこまで興味なかったが、周りにこうまでされるとさすがに燃えてくる。
4継メンバー、俺が頂く。奪ってやる。今回の面子は全員更迭だ。速い俺をチームメイトの意識に植えつけてやるんだ。
400mH、マイルリレー、どちらも2人(チーム)が飛びぬけている。
だが6位という視点で見ると?遠くはない。むしろ3位までは抜くつもりでいる。ただ近くはない。油断していれば足元をすくわれる。
「力」は感じたが「力の差」ではなかった。自分が走りきって、笑顔で先生と握手する、そんなイメージが漠然と浮かぶ。出来ないわけじゃないさ。「人が想像できることに実現できないことはない」
インター行くぞ。絶対決める。
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