学校という単位でのナショナリズムの話。
入学した当初、先輩方を見て、今まで見てきた高校生とは違うとまず思いました。
モノの考え方、立ち振る舞い、時には少しヒネた目線も、とにかく今まで経験したことのないもので、刺激的で、そーいうところが結構好きでした。
自分が1年生の時に先輩方を見てた視線と、今の後輩達が自分を見る視線とが、同じかどうかはわかりません。
でも今の自分が1年生の時に見た先輩方のような空気をまとっているかと言ったら、主観的には少し違う気がします。
先輩方がこれを持っていたかどうかはわかりません。
でも今の自分が思うに、少し違う原因は、足りないものは、矜持だと思います。
あえて「南高生」にまで枠を広げて言おうと思います。今の南高生には選民思想が足りない。
「俺は普通の高校生とは違う」ぐらいの、ある種の思い上がりが足りてない。
やっぱりこの学校、一味違うんです。
まず周りが南高を見る目は他の学校を見る目とは違う。期待とか憧れとか色々混じってる。
それに応えるかのように、素材はしっかりしてる。さすがに厳しい得点率の門かいくぐってるだけはある。
でも入学して少し経つとわかるのが、結局本質的には高校生だなってこと。周りが言うほど世間離れしたものでもなく、世間一般の高校生と同じような悩みとかトラブルとかあるんだなと。
それでも変わることのない周囲からの視線に耐えられなくなると、こうも言いたくなる。
「仕方ないじゃん!だってまだ"ただの高校生"だもん!」
いや、それは嘘だと思う。
南高生は"ただの高校生"の一歩先を歩ける存在だと思う。
そう、1年生のときに見た先輩方は、まさに一歩先を行っていた。
そして自分たちももう最終学年なのだから、あとはやろうとするかしないかだけの問題で、それだけの能力は備わってるはず。
しかし、「ただの高校生の一歩先」の意味を、他人を見下し優越感に浸る根拠だと捉える奴は、全然わかっちゃいないし南高生の風上にも置けない。
一歩先というぐらいだから、普通の高校生が歩む道を全て踏破した上での、さらなるもう一歩なのです。
つまりまず"普通の高校生"という仮想目標があって、そいつが出来るようなことは全て出来る、そしてさらにそいつが出来ないこともちょっとだけ出来る。「南高生だからこんな数学の問題なんて訳ありませんよ鍛えてますからねHAHAHA!」…とまでは言わないでいいにしろ、そういう心構え、それこそが南高生が持っていてもいい選民思想ではないかと思います。
まぁ仮想目標を作ってる段階で少なからず他人を見下してるような意識があることは否定できませんけど、いいんじゃないですかこのぐらいなら。能力ある奴がない風に卑屈に振る舞ってる方がむしろ嫌味だと思います。出来る奴は出来る奴として振る舞えばいい。ただ「南高生はこんな数学の問題楽勝!出来ない奴はバカ!」とか後半で余計なこと言い出す奴がいたら早いとこ考え方改めて欲しい。
選民思想は他人を見下して優越感に浸るために使うんじゃない。甘えを断ち切るためのエンジンとして使うんです。
つらいとき、苦しいとき、"ただの高校生"なら挫折してしまいそうなとき、自分を"ただの高校生"という器にしまい込んで小さくまとまらないように、楽な方へ流れていかないように、甘えないように、「自分はただの高校生とは違う」「自分は南高生だから」「この程度の壁は乗り越えられる」そういう形で使うんです。
多分ここから嫌なことを言うと思うのを先に断っておきます。
自分としてはこの選民思想を、陸上部に使いこなしてほしい。
というのも中から見てた陸上部は一体どこまで"ただの高校生"として扱って欲しくて、どこまで"南高生"として扱って欲しいのかが曖昧になってるから。それを今一度見つめ直して欲しい。
思うに世間一般の陸上部というのは顧問が決めたメニューを信じてやってくもんだと思う。
でも南高陸上部は「生徒がメニューを作る」という形がある。これの解釈が曖昧だと思う。
はっきり言ってしまえば「自分達でメニューを決めたい」って言う割には見通しもポイントも甘くて結局「自主性」という言葉を逃げ口上として使ってるんじゃないかと言うこと。
それと「自主性」という言葉に夢を持ちすぎなんじゃないかということ。さっき言ったとおり「一歩先を行く」というのは「普通の高校生が歩む道を全て踏破した上でのさらなるもう一歩」であって、踏破する前に先に行こうと焦って歩幅広げたら必ずつまづく。俺みたいにね。偉そうなこと言ってるようで今までのは全部自分の後悔なのサ。
自分がまだ未熟だと感じる内は、一旦プライドを脇に置いてみるのも大切なことだと思う。あくまで一旦だけ。一歩先を目指すための一時の経験値稼ぎとしてだけ。脇にずっとほったらかしといたら一歩先は遠い。
一歩先行く南高生なら、自分に足りないモノを顧みて、それを補強する最善の練習法を調査と試行錯誤の末に編み出して、結果出して、それでいてテストもいい点取っちゃったりするんだろう。そんな夢みたいな両立をするのが、普通なら出来ないだろって思うようなことをやってのけちゃうのが、まさしく普通ならざる南高生なんです、きっとね。
ネコがライオンのフリするのは本当に思い上がりですが、ライオンはライオンのままであればいいと思うのです。
ライオンがネコのフリをするのは謙虚の意味を捉え違えてるし、そんなことしてたらいつか本当にネコみたいな腑抜けになるんじゃないかと思います。
人間たまにはデカいことの1つでも言ってみたらいいんじゃないですか。デカいこと出来るようになってからそれを口にするんじゃなくて、まずデカいこと言ってからそれに相応しい人間を目指していくような、自分を賭けることが先の一歩を目指すための原動力だと思います。
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GOOD ENTRY! - ともこ
「矜持」って素敵な言葉ですよね。
高校生なのに「矜持」という言葉を使いこなしているKANIさんも素敵です。
ネコとライオンの例えは分かりやすくていいですね。