六華ゼミに出ました。
今回の講師の方が裁判官ということで内容に興味があったのもあり、またタイトルにある通りの意味もあり。
受験生家業も佳境に入ってくると何がつらいって、新しいことが入ってこないことなんですよ。授業も新しい情報を取り扱うことはほとんどなく、既知の情報の「扱い方」を学ぶという方向に向かうんですね。下手したら1日が焼き増しに終わることも珍しくない。
そんな閉じた生活を続けるのが嫌なので、意識的に新しいことを取り入れて脳の代謝を促すようにしています。六華ゼミもその一環ということです。
ちなみに3年生はさすがに来ないよなと思ったら他の文系クラスの人が1人いましたね。もしかしたらまだいたかもしれませんが。
六華ゼミ、出る度に面白かったと感じるんですが今回もとても興味深い話を聞くことが出来ました。
実際に取り扱った判例の詳しい経過や判決について触れながら裁判官という仕事を紹介していたのですが、法によって人を裁くという行いの中にも、やはり根底にあるのは「人の心」なのかと感じさせられました。
特に夫婦で覚せい剤を使ったケースについての話は考えさせられました。
筋道立った供述をする妻、どうにも噛み合わない供述をする夫。セオリーからすれば夫が罪から逃れようと嘘の供述をしていると思われる。しかし深く根を探っていくにつれ妻の供述にも整合性の合わない部分が出ている。どちらが嘘をついているのか?真実はどこにあるのか?
結末は、妻が他の男と結ばれるために夫を貶めようとした。夫はそれに気づきながらもまだやり直したい気持ちがあり、嘘をついてでも妻をかばうことで気を向けさせようとした。どちらも嘘をついていた。そんな真実。
また裁判官という職責についても語っておられました。事件の核心に迫る中で私人としての情にかられることもあれど、人を裁く段階では「裁判官としての立場」を貫かなければならない。私人の視点で罪を考えてはいけないとのこと。その観点に立つと裁判員制度も違った見方が出来るでしょう。
2時間弱の長いゼミでしたが問題集と向き合うよりはるかに多くのものを得たと思います。
代謝という話でもう1つ。割と本来的な意味での。
札マラが終わってからめっきり運動する機会が減り、体育でバスケをやっては試合中に息切れしてすぐ使い物にならなくなるという恥ずかしい体に成り下がってしまいました。
長い間体使わないとなんかもやもやしてくる気もして、そこに駅伝やらアジア大会やらで人が走ってる姿を見るともういてもたってもいられなくなってくる。今のところ一番やりたいのはスタートダッシュでしょうか。
とはいえ寒さもある手前なかなか走ることには及ばず…でもたるんだ身体も許せない…そんなプラスマイナスの葛藤があったり。
とりあえずウェイト室にまた通い始めて少しずつ筋トレ再開するかもしれません。有酸素運動もなにか取り入れられたらいいなとは思うのでこの辺りもなんか考えておきます。やるとしても自重トレーニングですね。体重は61~62kgで推移したらいいな。
新しいもの好きな性分なので、古いものはちゃっちゃと捨ててしまいたい。
化石みたいなのは嫌ですね。色々と。
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