忍者ブログ
選択したカテゴリの記事一覧

[PR]

2025.09.10 - 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

    
at 18:07
               ▲ENTRY-TOP

くりくり

2009.12.25 - 日記
今日はまぁ、午前中は宿題片付けたりなんかして午後は部活。なんかもういつもの休日って感じでした。晩飯もいつも通りだったし。実家帰ったら母のブッシュ・ド・ノエルがあることに期待するしか・・・頼むよ!
あ、突然ですが明日の15:50のJRで帯広帰ります。札幌戻る日は未定。時間ある人遊ぼうじぇ。

書くことないので昨日に引き続き唐突に性癖をバラす誰得な話題に入るわけですがすぐに別のサイトに移って頂いても一向に構いません。
ということでなんで±5歳なのかという事ですが、まぁ5って数字に特に深い意味はなく、年上か年下がイイ!ってことなんですよ。かと言って同い年完全にアウトではないんですが、なんとなく苦手意識があるのは事実。
起源はおそらく幼稚園~小学生ぐらいまで遡り、その当時の自分は年も年なんで女の子にそんなに興味があるわけではなく、あとはちょっと字を読むのが早くて、漢字が読めて、計算が出来ました。また教育チャンネルより民放のドラマの方が好きなひねくれたガキでした。
今でも割とそうですが、当時は大人が大好きでした。幼稚園で肩並べてる奴らは字も読めねぇし計算も出来ねぇ、それに比べて大人たちの酸いも甘いも知り尽くした雰囲気はどうだ。こっちの世界のほうが断然おもしれぇぜ!みたいなことを漠然と考えていました。ひねくれてやがる。
少年団の父母が家に来て飲み会とかものすごく楽しみでした。酒は飲みませんが(今も飲みたいって思わない)タバコの匂いは好きでした。そしてなんといっても酔ったオッサンたちの話が刺激的でした。
「年上はなんでも知ってる」という先入観が今の年上好きの土台です。じゃあ下は?というと、下相手なら自分が年上になれる、憧れのものになりきっている感じとか、あと慕われてる感とか、そういうのが年下好きの土台です。同い年に対しては慕うことも慕われることも難しい、そこが苦手意識になるのかもしれません。

この話の合う合わないって難しい。
今の陸上部、先輩が引退してトレーニング関係の濃ゆい話が出来る人がいなくてちょっとアンニュイです。部の日記で本紹介したりしたけど読んでる人いないんだろうなぁ・・・せめて今の自分ぐらいの知識でいいからガチ議論がしたい。
他にも真面目に哲学話してみたいとか、色んな願望はあれど周りにいるのは高校生ですし、「彼女欲しいわぁ~」とか「あのゲームが云々」とかが関の山なんですよね。こういう点では大人への憧れは未だにあります。将来は持ちネタの引き出しの多い大人になりたいものです。

なかなか自分の持ちネタを極限まで引き出してくれる人はいない。ゲームの話する人と恋バナする人が違ったりする事は少なくないはずです。だからこそ交流の幅を拡げることは精神衛生的にも良さそうですが、俺はブログ使っちゃいますね。あ、いや、友達いないわけじゃないですからね!
世間一般の認識とはずれてると思いますが、このブログは俺のノートというか覚書というか、文章そのものは人に見せようとして書いてますが内容は決してエンターテイメントに富んだものじゃない、基本俺ひとり満足して他置いてけぼりな感じなんですよね。これはもともとそういうつもりで書いています。ブログは答えない代わりに自分の話をすべて受け止めてくれる優秀な聞き手です。それが見ている人の趣味に合えば反応が返るだろうし、別になくてもいい、聞いてくれた事実だけでいい。もしくは後々自分が読み返したときに自分の中に還元されるんですよね。
これ要約すると俺ブログに対して独り言つぶやいてるってことか。暗いな。

まぁ性癖から随分脱線して結局gdgdになったわけですが。
あれですね、お話聞いてくれるやっさしい女の子年齢問わず大募集!ってことでいいですか。
サンタさん期待してますよ!



切ないねぇ・・・orz

PR
    
KANI at 23:25
            Comment(0)   TrackBack()   ▲ENTRY-TOP

いーぶい

2009.12.24 - 日記
>学校終わって直帰は負けすぎる(キリッ

直帰でしたwwwww負けましたwwwwwそれはもうwwwww無残にwwwwwうはwwwwwおkwwwwwwwwwww友達にスガイ行こうっつったら全力で否定されたwwwwwwwwwwどうせお前も直帰だろってwwwwwwwww

ふぅ・・・

まぁホントに直帰だったわけで。こんな時間からブログ書けるわけです。
彼女もちのやつ茶化したぐらいですかね・・・切ないわぁ。
予定がホワイトクリスマスとかもう100万回言われてますよね。
一緒に過ごす人はディスプレイの向こうにいるとか何世紀前の言葉だよって話。
ラブプラスもないもんね。あるやつは勝ち組なんだか負け組なんだか・・・

ところで学校でロリコンでまだ通ってることをこのタイミングで唐突に確認しておくわけですけど。
まぁね、言いましたよ確かに。±5歳までいけるとか逆に同い年がダメだとか。おかげで1個下の子としゃべるだけで変態扱いだわちっちゃい子を指して「(母性愛的な意味で)かわいい」って言ったら「(性的な意味で)かわいい」って言ってると誤解されたりで散々です。ちなみにこれを読んでる人はこのブログが家族バレしてることを把握しておくと2度美味しく楽しめます。
まぁロリコンの方が知名度高いんですが俺は年上も好きです。
つーか±5歳が一部で知れ渡りすぎて同い年には興味ないみたいな扱いを受けたり、しまいにゃ中学生にしか興味ないみたいな扱いも受けますけど同い年完全にダメじゃないですからねwただちょっと苦手ってだけで。

そう、ネタで言ってるだけなんですよ。お道化なんですよ。
同い年もアリだけど「年上か年下だけだな」とか幼女興味なくても「幼女」とか言ってみたりするわけです。言えばウケるかなってタイミング見て。ただそれをマジで言ってると思われるのが困る。いや相手もネタでいじってるんだろうとは思うけど。
±5歳とか言ってても実際中学生と付き合いたいとか思ってないし、「二次元落ち着く」とか言ってても彼女欲しいとは思いますw

普段の言動の7割ぐらいはネタです。ウケ狙いというよりはなんとなく本心を隠すためのネタな気がします。いやウケるったって哀れみを含んだ笑いですけどw
本来の自分を開けっ広げにするのが嫌でネタな方向に走ります。メガネだってそうかも。白メガネって特殊すぎるアイテムのおかげで素顔見られないもんね。たまに「外した時のギャップが凄い」とか言われたり。
まぁネタに走りすぎて結局ネタが本来になるなんてオチはありがちですね。そうなったら今度は逆走するんでしょうか。
またネタに走りすぎて本来の自分をなかなか理解してもらえないジレンマというものもあるんでしょうかね。いやぁこんなん自分でもわかんねぇなぁ。したいことしたいだけしてればいいんだっけか。

要するにネタをネタと見抜けないやつにKANIは難しいって話でした。ちなみに今日の日記自体がネタです。というのがネタです。というのが(ry
    
KANI at 19:27
            Comment(2)   TrackBack()   ▲ENTRY-TOP

くりちゅまちゅ

2009.12.24 - 日記
日付も変わってもうクリスマスイブですね。
ちっちゃい頃はこの日が来るのが死ぬほど待ち遠しかったものですが、それはゲームを買ってもらえることが楽しみだったわけで、今や新作ゲームに対する執着も薄れ、また悠長にそんな事言ってられる年でもなく、いつしか特別性もなんとなく薄れてきてしまいました。年を重ねるのは切ないものですね。
まぁ一部リア充のみなみな様はやっぱり特別な日なんだと思われますが俺にとっちゃ終業日かつ部活のない平日ってとこです。

去年のクリスマスなにしたんだっけ・・・?と思ってログ漁ったら一人観覧車に頑張った自分へのご褒美(笑)にって人生トップの黒歴史じゃねぇか随分風化したなオイ。ちなみに今年1年生がやるらしいです。あ~ぁ。止めないけどね。
今年はどうなるんだろう・・・12月入ったあたりからいっつも昼休みご飯食べてる男子3人で
「もう3週間後だぞ」
「おいやめろ」
「2週間後には・・・」
「やめろって」
1週間切ったぞ!
もう言うな!
という会話を繰り広げていたわけですが、ホントにそこで会話が終わっちゃうor彼女欲しいわぁ~みたいな話に流れちゃうので結局当日を乗り切るための対策ゼロです。ノープランです。
まぁ明日学校行ったときに流れでどっか行くことになるんじゃないかなぁとは思うんですけどね・・・学校終わって直帰は負けすぎる。
にしてもなんで寮の最寄り駅さっぽろなんだろうね死にたい。

    
KANI at 00:24
            Comment(0)   TrackBack()   ▲ENTRY-TOP

二軸

2009.12.18 - 日記
今日は六華ゼミでした。六華ゼミの話したことあったかどうか自信ないのでとりあえずもっかい書いてみる。
南高卒業生の同窓会を六華同窓会(りっか─)と言います。そして六華ゼミは所謂「総合的な学習の時間」として南高で取り入れている進路説明会のようなもので、同窓生の方が自分の職業や今までの経験について語っていただき、また生徒はこれに参加することで総合の単位を取得できるというシステムになっています。
来る人は医者が多め、今年は裁判官やスポーツ記者という方もいました。スポーツ記者のゼミ出たかったんですがインフルで行けなかったんですよね。
今回来てくださった方は北大病院に勤務されている方で、かつ陸上部のOBでもあるということで日頃寄付等お世話になっていることへの感謝もこめて陸上部員は全員参加でした。

自分の希望する進路でないとはいえ、非常に面白い話でした。
まずタイトルが「短所は長所!」という明快なもので、講師の方のポジティブなものの捉えかたや色々なことにチャレンジしてきた経験談など、話の幅が広いという印象でした。
ゼミが終わった後、こんな質問をしてみました。

Q:「今回のテーマが『短所は長所』というものでしたが、今僕自身進路で悩みを持っていて─優柔不断という短所によるものですが─やりたいことが2つあって絞ることが出来ないでいます。なにかこの短所を長所に変えられるような励ましの言葉を頂けたらと思うのですが。」
A:「優柔不断っていうのは深く考えられるっていうことなんじゃないかな。私自身仕事をしていて思ったことなんだけど、即決!って確かにかっこいいんだけど、でもそれで上手くいくことってあまりないんだよね。優柔不断であるからこそしっかり考えて決めることが出来る。だから今の悩んでる時間も大切にしていくといいんじゃないかな?これで答えになってるかどうかはわからないけれど・・・」

今回のゼミ、そしてこのやりとり、それを通じて思ったことは今年の─いや、今の自分の─走りの源である「二軸」でした。陸上の理論の1つとしての「二軸」から、人として生きる道の「二軸」に辿り着いたのです。
人を褒めて「芯がしっかりした人」なんていうこともあるけど、俺の欲張りで肥えた心は1本の芯じゃ支えきれないのかなと思います。だからこそ芯を、軸を、2つ持つ。
右と左、善と悪、長所と短所、理性と本能、肯定と否定、楽観と悲観、夢と現実・・・
目に映るものを、過ごす世界を、二項対立で見つめるからこそ、弁証法的に新たな視点が生まれて、より洗練された答えを生み出せるのかもしれない。
うどんとそば、両方いっぺんに食べるような生き方でもいいのかな。
    
KANI at 23:27
            Comment(0)   TrackBack()   ▲ENTRY-TOP

教育

2009.12.14 - 日記
国語選科教室なるものがあるらしいですね。読んで字のごとく。
自分の国の言葉なのにわざわざ塾に行って学びなおさなきゃならないあたり教育のレベルの低下が見受けられるのではないでしょうか。
国語と言えばうちの学校は極端です。第一現代文の先生が「まぁ受験のためには数学や英語優先した方がいいわな」とか言い出すし。進学校様は受験第一で学ぶことの本質が見失われがちになるのが弊害ですね。
数学は6単位(週6時間授業)、英語はリーディング、ライティング合わせて6単位、国語は古文3単位と現代文2単位。授業時数からして国語の立場は低いのです。また現代文の時間は内職も多々見受けられます。
確かに現代文は対勉強効果というか、やってもイマイチ成果がわからない教科ではあるんですが、だからと言って軽視していいものではないと思うんです。なぜなら今自分達が読み・書き・話す言葉は全て現代文な訳ですから、その使い方を知らなければ読み・書き・話すことは成り立ちません。またこの3要素は往々にしてその人のレベルを示す秤にもなるものです。

教育全体ということについて考えてみると、現代の子供は「ゆとり」と表され、以前に比べて勉強が出来なくなったとよく言われますが、これは何故でしょうか?こうなるにはどういった要因があったのでしょうか?
以前に比べて勉強が出来なくなったとはいえ、新生児の段階での知能レベルにまで差があるとは思えません。むしろ以前と比べたら大脳新皮質とか進化してるんじゃないかと思うんですけど、まぁ知らないことまで口出さないほうがいいですかね。
生まれたばかりの差がない状態から成長していくにつれてだんだんと差が顕著になっていくのでしょうが、そこにある要因とはやはり環境─とりわけ教育環境でしょうか。
親のモラルの低下、教師のモラルの低下、手軽に膨大な情報を得られるインターネットの存在、それによる思考能力や調査能力の低下・・・このあたりがゆとり世代がゆとり世代である所以かと考えられます。
特にパソコンやネットの存在は大きいでしょうね。覚えたり考えたりといった煩わしい工程を機械1台で担ってくれるのですから。こうして人間自らが持つ機能をモノにどんどん受け渡していくようになれば、人間の脳も「考える必要がないのならばそもそもある必要がない」ことになり、負の進化を遂げるのかもしれません。

それにしても教育レベルの低下を強烈に表しているのが所謂「おバカタレント」ですよね。
無知であることを商売道具にしていますが、彼らがとる笑いは芸人が苦心してネタを作り出した末にとる笑いとは全く異質なものです。安易な笑い、嘲笑です。
彼らが人気になる理由は無知であるがゆえに視聴者の格下になるからです。視聴者はおバカタレントに対して下方比較が出来ます。自分より格下の人間がいることは安心感を生みます。イジメが起こる要因も大体同じかなと思います。
下方比較はうつ病の改善には効果があるそうですが、一般人が下方比較を行うことは自分の今の地位に甘んじること、すなわち思考停止であると思います。まして比較対象はバカなのにタレントという夢のような職業に就き、あまつさえ大金を稼ぐわけですから、普通の人なら「バカでもいいんだ」って思わないはずがないんです。人間の本能は制約がない限り悪の方向へ向かうそうですしね。
たとえタレント本人達が実はバカじゃないにしろ、バカとしてアナウンスメントしてる時点でなんの意味もない。現代人は考える力をモノに明け渡し、メディアリテラシーの欠如を招き、メディアのプロパガンダに踊らされ、衆議院総選挙でマニフェストの中身もたいして見ずに看板につられて大博打を打つような真似も平気で出来るわけです。

今日中公文庫の「シュレディンガーの哲学する猫」という本を買いまして。サルトルの実存主義について少しかじったんですが、そこにはこう記されています。
・人間は生まれることを選ぶことは出来ない。突然世間に放り出され、そして死んでいく。
・人間は生まれたばかりでは「まだ人間ではない」、成長していく過程で徐々に人間として形成されていく。
・人間は自らを未来に向かって投企(プロジェ:自らの存在を未来に投げかける)ものである。
・人間はプロジェによって何かに積極的に関わる(アンガジュマン)、それによって人類全体を一定の方向に関連付ける(アンガジェ)
下2つのあたりを今までの話と関連付けると、現代人は今「バカでいいんだ」という方向にアンガジェされているのだと思います。それによって努力する必要性も薄れ、より高い目標へのプロジェが行われず、低いレベルでのみプロジェが行われることによって低い教育レベルにアンガジェされる・・・という悪循環ですね。先に挙げた国語の話だと、生徒全体が数・英>国語という方向にアンガジェされているので、英数を努力するようにプロジェされ・・・という感じでしょうか。
アンガジュマンの概念知ると、個人がある行動をとることは、その行動を理想的なものだと宣言することになり、人類全体に対してそのように働きかけることになります。その積み重ねにより、人類全体が一定方向にシフトすることになります。
高いレベルの教育を理想として宣言し、人類全体をアンガジェすることが今のゆとり世代の使命なのでしょうか?その目標がなされるまでに、一体どれだけの年月をかけることになるでしょうか。

    
KANI at 00:40
            Comment(0)   TrackBack()   ▲ENTRY-TOP
 カレンダー 
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
 プロフィール 
HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上、ゲーム
自己紹介:
帯広生まれ帯広育ち札幌在住。
春から筑波大学国際総合学類。

陸上歴12年目。
尊敬する人は為末大。
考えて、実践し、結果を出す陸上が信条です。
人に夢を与える走りをするのが目標です。

良ければ一言どうぞ↓


 ブログ内検索 
▼ 最新記事
(04/01)
(03/31)
(03/31)
(03/31)
(03/23)
▼ 最新CM
(03/31)
(03/22)
(03/20)
(03/10)
(03/10)
▼ バーコード