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at 12:05
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真面目な人は偉いのか

2010.02.09 - 日記
真面目な人は偉い
不真面目な人はダメ人間
なんか「人を殺してはいけません」並に不変の真理みたいに思えるんですが、単なる先入観なんじゃないかと思えてきました。
てかなんで真面目な人は偉いってことになるんでしょう?

リーダー会の仕事で小学生に指導する機会があって、消灯時間になってからの見回りとかも仕事に含まれるのですが、裏話をすると昔と今でものすごく変わったところがあるんですよ。
俺がスクールの参加者だった頃は消灯過ぎたらリーダーは「早く寝ろよー」って言ってました。というか泊まり行事なんて普通はこう言いますよね。修学旅行もそうだった気が。
今のスクールこう言わないんですよ。「寝れないやつは起きててもいいけど、寝てる人に迷惑かけんなよ」なんて言うんです。昔と比べると甘々ですね。でもいいことです。色んな価値観を認められてるわけです。不真面目なやつが不真面目なままでいられる。

真面目な人が真面目に頑張ってたら、それは「頑張ってるなぁ~」って思います。
でも「真面目にやってる人もいるんだぞ」とか「頑張ってる人もいるんだぞ」とかってセリフがよくわからないなぁって今日唐突に思いました。「真面目にやってる人もいるんだぞ」って、「不真面目にやってる人もいるんですよ」って言いたいし。
真面目=偉い 不真面目=ダメって先入観があるから、不真面目な人を真面目に改心させたいんでしょうか。でもそれって価値観の押しつけじゃないですか?
頑張ってる人を見て自発的に自分も頑張れる、なんてのはいいお話ですけど、頑張ってる人を見たら自分も頑張るようにするべき、なんて教えはうっとおしくて仕方ない。頑張るかどうかなんて自分に決めさせろって思います。
というかそもそも不真面目なままじゃダメなんでしょうか?不真面目な取り組み方をしててもそれで本人が楽しいとか、あるいは結果を出せてるなら問題ないんじゃ?
真面目な人を冒涜することになるから不真面目は悪なんでしょうか。それは真面目な人がよそ見しすぎじゃないですかね。違うものは違うんだってそこで止めといて自分のこと考えてればいいのに。

まぁ自分に合わないものは認めたくないんでしょうね。俺も割とそうです。
認めたくないから自分に合うように変えたいと思って対立するんですね。
しかしまぁ、「他人と過去は変えられない」とは父の言葉(誰かの受け売りだったかな)
ついでに「自分と未来は変えられる」とな。

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KANI at 23:00
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エポケー

2010.02.06 - 日記
ミーティングのときに、活発になった議論の中に埋もれてしまった俺への質問に、意味はなくともここで答えてみようと思う。

「お前の目標はなんなんだ?」

あの時は答えることすら出来なかったと思う。
今もきっとその人が望む答え方は出来ない。
結局とんちまがいのひねくれた逃げ道しか作れない。

「目標がなきゃ走れないか?」



ここで最近読んだ本で知った「エポケー(思考停止)」という概念を持ち出したい。
本来の意味とは変わってしまうかもしれないのですが、自分なりの解説をするとこういう事です。
例えば1冊の本があったとして、ある人は「価値のある本だ」と思い、違う人は「価値のない本だ」というように人によって同じものを指しているはずでも違う認識を持つことがあります。これは理性という色眼鏡を通して物を見るから、ただの本でも「〇〇で××な本」というように様々な付加要素がついてしまうということなのです。
エポケーとはこの理性の色眼鏡を脱ぎ捨て、本を本という風にありのままに捉えることを指します。理性というフィルターを通すことなく本能で感じるということです。

陸上もエポケーで感じたいのです。
走ることから長く離れすぎました。今は怪我も快方に向かい、徐々に走るということを思い出しているところです。しかしこれは、なんと心踊ることでしょうか。
右足で踏んで、左足で踏んで、足跡になる、道になる。
風を切る、体が進む、世界が動く、世界が見える。
それでいい。それだけでいい。そう思うんです。「走るのに理由はいらない」とか「走れさえ、すればいい」とか、上手く言えないけどそんな感じ。
なにかのために走るなんて、ましてそのためにあーしなさいとかこーしなさいとか、そんなのはウンザリです。身軽な方が速く走れそうじゃないですか?
目標という言葉すら、理性が体に押し付けているゴールのように感じます。自分の深いところにある、本能からの欲求に従うことが、一番楽しく走れそうな気がするのです。いちいち上から目線で言われなくても、強くなりたいという欲求はあるはず。そしてそれは走ってるうちに湧き上がるはず。

走るときにここまで語る思考はいらない。これも重荷、これも捨ててさらに身軽に。
思考停止して、脳の全機能を体を動かすことにだけ集中させる。
そんな風に走ることが、強いて言えば目標ということでしょうか。

    
KANI at 19:35
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ポニョ

2010.02.06 - 日記
ここまで流行ってるのに見たことないとか言うわけにはいかないでしょ。
と言うことで金曜ロードショーガン見でした。面白かったですね~崖の上のポニョ。
まぁ見ながら難しいこと考えるのはなかなか出来ないので、思考停止してあるものをあるがままに、あと部屋に来てた友達と「背景すげぇな~」とか突っ込みながら見てました。
見終わった後も「人魚姫がハッピーエンドになった感じかね~」とか言ってたんですが、ここの考察を読んで愕然としました。このショックはヤバい。
今回は初見ということで、上のスレの最後にあった久石さんの言葉で言うところの「冒険物語の一部」として見れたと思います。ただその裏には考察にあるような世界もある。こんな風に人を魅せられるストーリーがあるんでしょうか。もう2回目見たいです。
流石にラストのおばあちゃん達が走ってるシーンに違和感を覚えたのはそういうことだったのかぁ…



実テというものが返ってきましてですね。
順位は出てないけど一応点数だけ晒してみるなど。

国語:120/200
数学:62/200
英語:88/200
日本史:48/100
化学:30/100
政経:64/100

こんな感じ。
国語は平均20↑ぐらいで喜んでたらクラスに140点とってる人いたので俺はもう国語を自慢するのをやめようと思います。
英語は平均ギリギリ。二次まで付き合う教科だからこれはマズい。まぁ同じく二次も付き合う日本史で平均割ったのはもっとマズいんですけど。
化学は夏まで得意だったのにセンターですら使わないと見るや思いっきり捨てムード。理論化学とかもう知らない。来年の科目選択で選ぶ必要なかったのなぁ。まぁ今更ですが。
政経無勉で平均10↑とかみんなもっと頑張るべき。数学はいつもどおりな感じ。平均4割前後だそうな。
これはなんも乗らない疑惑…国語ギリギリでいいから引っかかってくれぇ。

てか進研模試返ってこいや。1月分は数学結構出来たからなかなか良い数字出るんじゃないかと。
まぁ受験勉強もろくにしてない中で出てくる合格可能性なんて信憑性薄いですけどね。まぁモチベ向上にはなる…かな?

    
KANI at 00:02
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アマノジャクアナライズ

2010.02.04 - 日記
どうも、ミーティングで女の子泣かせたのを未だに引きずってる俺です。

ミーティング2日目の時、教室に移動してる途中で先生に
「お前の意見は重要だからな」
とか言われたんですが、そうなの?
ということでディスカッションにおける自分を客観視してみようとするなど。



真面目におしゃべりするのは大好きです。自分の力を発揮出来る気がします。
ただ学生の身ではそういう機会が少ないのが若干さみしいところ。
一旦しゃべり始めると性格が出てくるんですが、俺の性格は「天邪鬼」と「両方取り」で8割方説明できてる気がします。ってことでこういう方向で意見を出します。

自分の天邪鬼は親が言った「物事は前からだけじゃなくて上からも横からも下からも見るんだよ」という言葉に裏付けられてると思います。
なので大勢の人が信じてやまないことにも疑問を投げかけます。昔ニュースで取り上げられている犯罪者に「この人にもなんか事情があったんじゃないかなぁ。悪い面ばっかり取り上げられて大変だ」とか漠然と思っていた気がしますがあんまり関係ないですかね。
それに他の人がもう肯定してるんだったらわざわざ俺まで肯定しなくてもよくね?って思います。被ってんじゃんて。人が踏んでない雪道を行きたがる感じ。
そんなわけで、人が肯定するものは否定するし、否定するものは肯定します。これが話長くなる原因ね。

で、俺が最終的に目指す方向は「両方取り」なんです。
一元論ってありえないと思うのね。心も物質の1つなんだとかいう物理学者も、物質は心の産物だとか言う哲学者も好きでないです。
なにか1つのものだけを盲信的に追求することは視野が狭い、さっきの親の教えに反してしまう。新たな視点を加えて、ポジティブな面とネガティブな面を明らかにして、より良い「第3の道」を作り出す。ってのがミーティングで目指すところかなと思います。
まぁ2つ対立意見があったらどっかこっか妥協しないとダメよねって話。

まぁこんな心持ちで話してるわけですが、なんで人を泣かせるようなことになったのか。ひとえに俺の喋り方にあると思います。
簡単に言うと人の神経を逆撫でするような感じ。イライラさせる喋り方。
狙ってやってる…というのも嘘ではないと思います。というのも、どうにか自分の持つ「場の空気と逆の意見」を浸透させたい、でも周りは自分の肯定する意見に目がくらんでいる、なんとかして強烈な印象を与えなければいけない。ってな感じで、ホントは2つの意見を融合させたいとは思いつつも「おまえらの意見なんか全否定してやるよバーカ」みたいな話し方をしている気がします。そしてその後俺の意見がガシガシ否定されていきます。因果応報というやつですね。
もうちょっと諭すような話し方を身につけたいなぁと思います。

あと思ったことは基本的に遠慮なく言います。こういう場でのみ。
100%の意見のぶつかり合いによって100%の結論が出るのではないでしょうか。だからこそ自分の手札は全部さらけ出して勝負したいのです。発しなければすなわち存在しないのと同じですから。
自分が否定されることに恐れはないです。むしろ自分を直す機会になるのだから感謝こそすれ、どうして怒ることなどできましょうか。

あとはなんだろう…後輩に「なんでもかんでもイコールで考えようとするのやめた方がいいですよ」って言われたけどこれどうすればいいのか未だに分からない。
「それはこういう意味か?」とか「これはこういう意味で…」とか、場に出た意見に意味を求める。それがイコール化なのかなぁ。これが×ってことなのか。
解釈の仕方が多様なんだから意味を1つに定めるなよって話か…でもまず一旦「自分の意見」という1つのものをつくるにあたって意味をイコールで結びつけるのは必要なことじゃないかと思うけど…深く考えちゃダメかなぁ。

話し合いの場のみの話ではないですが、謝るのが非常に下手です。
ミーティング後に後輩から来た「自分の意見ばっかり通そうとしてすいませんでした…」というメールは衝撃でした。俺だってそうなのに。
でもこんな風に感情を素直に表すことが出来ない。結局謝るタイミングを逃して、わだかまりをそのままにして空気をうやむやにする…そんなことも少なくなかった、気がする。
敵を作りやすいのかもしれません。
ミーティングの後で俺に対して「否定ばっかでウゼェ野郎だ」みたいな認識が生まれてたとしてもそれは誤解じゃないと思います。まぁ本人はそういう面だけではないんですけど、そういう面もあったのは事実だし。もう釈明するのもめんどいので誤解されたままで良いと思います。
敵がストレスのはけ口になるなら別にそれでもって感じ。



…これは客観視なのでしょうか。
どっちかっていうと再確認な気が。
なんか書いちゃったから上げとこってレベルの駄文。こんなはずだったかなぁ…?まぁいいや。

最近少し走れるようになってきました。ジャンプ系の練習は負荷が大きいと思うのでやらないんですが、平地を走るぐらいならなんとか。
走ってる間は何も考えずにすむので楽です。深みにはまらない感じが心地よい。
筋力や技術レベルも新人戦より良くなっていると感じています。あとは本番で固くならなければいいタイムが出せそうです。

    
KANI at 22:12
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無題

2010.01.31 - 日記
キリ番32000自爆した
    
KANI at 17:08
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 プロフィール 
HN:
KANI
年齢:
33
性別:
男性
誕生日:
1992/05/11
職業:
学生
趣味:
陸上、ゲーム
自己紹介:
帯広生まれ帯広育ち札幌在住。
春から筑波大学国際総合学類。

陸上歴12年目。
尊敬する人は為末大。
考えて、実践し、結果を出す陸上が信条です。
人に夢を与える走りをするのが目標です。

良ければ一言どうぞ↓


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